旭川地方裁判所 昭和37年(ワ)17号 判決 1964年1月27日
原告 国
訴訟代理人 高橋欣一 外二名
被告 旭川小型タクシー株式会社
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事 実 <省略>
理由
一 被告が、原告の主張するような業務を営む株式会社であること、訴外遠藤が昭和二六年七月から被告に雇われ、被告所有の自動車の運転に従事していたこと、及び原告主張の日時、場所において、訴外遠藤の運転する被告所有の小型自動四輪車が訴外石井に接触し、そのため訴外石井がその場に転倒し、頭蓋腔内出血及び大脳損傷により即死した事実は、いずれも当事者間に争いがない。
二 そこでまず、訴外遠藤の不法行為の成否について考えるに、成立に争いのない甲第二ないし四号証によれば、訴外遠藤は、昭和三三年九月二三日午後一一時頃から翌二四日午前にかけ、被告所有の小型自動四輪車(旭五あ〇〇三六号)を運転して旭川市国鉄旭川駅構内から剣淵市街まで乗客を送り届け、その帰途、同日午前三時頃旭川市一線六号附近路上に差しかかつたが、当日の勤務時間は午前三時までで同時刻以降は帰社しても稼働する必要がなかつたため、同所附近の飲食店に立寄り、酒約三合を飲んだうえ再び自動車の運転を開始し、旭川市内旭橋方面に向けて進行し、同日午前四時頃同市花咲町一丁目先路上に差しかかつた際折から進路前方約七・八〇メートルの道路左側をそれぞれ自転車に乗つて同一方向に並んで進行中の訴外石井ほか一名を認め、道路中央寄りを走つていた訴外石井の右側を追い越そうとしたが、かかる場合自動車運転者としては、前方進行中の自転車と接触することのないよう十分横の間隔を保ち、その動静に着目しつつ速度を下げて進行し、危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるに拘らず、訴外遠藤はこれを怠り、慢然同所の制限速度を超える時速約六〇キロの速度で進行したため、訴外石井の乗つている自転車に自己の乗つている自動車前部を衝突させ、その結果訴外石井を前記の原因によつて即死させた事実を認めることができ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。そうだとすると、訴外石井の死亡は、訴外遠藤が自動車の安全運転義務を怠つた過失により発生したものといわなければならない。
三 次に、被告の使用者責任の有無について考えるに、本件事故は、前述したように訴外遠藤が、被告の営業のため被告所有の自動車に客を乗車させ、国鉄旭川駅構内から剣淵市街に赴いての帰途生じたものであるから、たとえその間に前記認定のように、訴外遠藤が飲食店に立寄り飲酒したという個人的事情が介在しても、なお被告の事業の執行につき生じたものと解するのを相当とする。
なお、被告は、被告が訴外遠藤の選任及監督について充分な注意を払つていた旨主張しており、かつ、証人菅原吉明の証言によれば、被告会社においては、運転者の採用に際してその人物及び経歴特に運転歴の調査をしており、また採用した運転者に対しては、平素、運転に関する一般的な注意を行い、特に私用による会社所有の自動車の運転は厳に禁止しており、訴外遠藤についてもその例外ではなかつたことが認められるけれども、この程度の一般的な注意をもつてしては、いまだ民法の要求する使用者の選任及び監督についての相当な注意の域には達していないものと認められるから、被告は、訴外遠藤の使用者として、訴外石井の蒙むつた損害を賠償する義務を拒むことは許されないといわなければならない。そして、訴外ヨシが妻として、また訴外石井君子、同嘉代子、同順子、同俊治及び同幸子が子として、それぞれ訴外石井の相続人であることは当事者間に争いがないから、被告は、右訴外ヨシらが訴外石井からそれぞれその相続分に応じて相続した被告に対する損害賠償請求権の支払義務を負つたものといわなければならず、また訴外ヨシが原告主張のように訴外石井の葬儀費用を支出したものとすれば、訴外ヨシ自身について生じた損害として、その賠償の責をも負うといわなければならない。
四 ところで、原告が訴外石井の本件事故による死亡を業務上の災害として同人の妻訴外ヨシに対して遺族補償費及び葬祭料として合計五七〇、八一一円の給付をしたことは当事者間に争いがないところ、原告は、右の訴外ヨシに対する保険給付によつて労災保険法第二〇条第一項にもとづき、右の給付の価額の限度で訴外ヨシが被告に対して有する相続及び葬祭費用の支出による損害賠償請求権を取得したと主張するのに対し、被告は、かりに訴外ヨシが被告に対し損害賠償請求権を有したとしても、同人と被告との間に前記保険料給付以前の昭和三三年一〇月一日本件事故による損害賠償額一切を葬儀費をも含めて三六〇、〇〇〇円とする示談が成立したから、原告において、訴外ヨシの被告に対する損害賠償請求権を取得することはない旨主張するので、以下に右示談の成否について考えるに、成立に争いのない乙第一号証及び証人北川勇一の証言(第一及び二回、但し第二回については後記措信しない部分を除く)によれば、被告は、本件事件後の昭和三三年一〇月一日旭川市内の自動車損害賠償査定事務所に、訴外石井の娘むこで訴外ヨシから本件事故に関する被告との示談交渉を委ねられていた北川勇一を招き、示談につき種々折衝した結果、右北川勇一は、訴外ヨシの代理人として被告との間に、被告から訴外ヨシに対して本件事故による損害賠償額として葬儀費用をも含めて三六〇、〇〇〇円支払い、訴外ヨシはこれ以外の損害賠償請求を一切しないことを内容とする示談契約を締結し、同日被告から右三六〇、〇〇〇円を受領したこと、及びその際右北川は、労災保険制度の存在を知らず、従つて、本件事故につき、右示談金とは別に国から保険給付を受け得るなどということは念頭に置いていなかつたことがそれぞれ認められ、成立に争いのない甲第一六号証及び証人前田清の証言並びに前掲北川勇一の証言(第二回)中労災保険のことは訴外石井の葬式後間もなく聞いたとする部分は前掲各証拠に照らして措信することができず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。そして右認定の事実によれば、訴外ヨシは、原告から保険給付を受ける以前に、前記示談契約により同人の被告に対する損害賠償請求権のうち前記三六〇、〇〇〇円を超える部分を放棄していたものといわなければならない。
そこで原告の再抗弁につき判断するに、訴外北川勇一が前記示談契約を締結する際同人の念頭に、本件事故につき訴外ヨシが国から労災保険給付を受け得るなどという考えはなかつたことは前記認定のとおりであるから、これがあることを前提とする原告の再抗弁事実はこれを採用することができない。
そして、労災保険制度は、もともと被災労働者らの蒙つた損害を補償することを目的とするものであるから、補償の原因である事故が第三者の行為によつて生じた場合に被災労働者らが第三者に対する損害賠償請求権の全部又は一部を放棄し、その限度において損害賠償請求権が消滅したときは、国は右消滅の限度において保険給付をする義務を免れると解するのが相当であり、従つて、その後において、国が保険給付をしたとしても、国は労災保険法第二〇条第一項による法定代位権を行使し得ないといわなければならない。これを本件についてみるに、訴外ヨシは前記のように国から保険給付を受ける以前に被告から三六〇、〇〇〇円の損害賠償請求権の支払を受け、これを超える部分は放棄しており、従つて、その限度において損害賠償請求権は消滅しているのであるから、原告としては、訴外ヨシに対して保険給付をする義務はなかつたというべきであり、従つてこれをしたとしても、被告に対して、訴外ヨシの被告に対する損害賠償請求権を代位行使することは許されないといわなければならない。
五 なお、原告は、労災保険法第二〇条第一項にいう「補償を受けた者」とは、遣族補償の場合現実に保険給付を受けた者以外に死亡労働者と同一生計内にあつた者全員を指すから、本件において訴外ヨシが相続によつて取得した被告に対する損害賠償請求権の額が訴外ヨシに対する遺族補償費の額に満たない場合は、同人の右損害賠償請求権とともに、同人と同じく訴外石井と同一生計内にあつた前記訴外石井順子、同俊治及び同幸子がそれぞれ相続によつて取得した被告に対する損害賠償請求権中右不足額を按分した額について被告に対して求償権を行使する旨主張しており、右原告の主張は、かりに訴外ヨシと被告との間に示談が成立したとしても、示談によつて消滅した訴外ヨシの相続による損害賠償請求権の額が前記遺族補償費の額に満たない場合は、原告として、なお被告に対し、前記の石井順子、同俊治及同幸子がそれぞれ被告に対して有する損害賠償請求権中右不足額を按分した額について求償権を行使できるとの主張を含んでいると解されるので、以下にこのような主張が許されるか否かについて考えるに、原告の主張によれば、本件のように、労働者の死亡が第三者の行為によつて生じ、かつ死亡労働者と同一生計内にあつた遺族が多数いる場合に、受給付権者に支給された遺族補償費の額が、受給付権者が第三者に対して有する損害賠償請求権の額を超える場合には、受給付権者以外の遺族は、右超える額だけ、その者が第三者に対して有する損害賠償請求権を行使し得ないと解さざるを得ないであろうが、もしこのように解するならば受給付権者以外の遺族は、現実に保険給付を受けないにも拘らず、その者が第三者に対して有する損害賠償請求権を失うか又はその額を減額される場合があることとなり、遺族の生活の保障という面からみて妥当でない結果を生ずるから、この点に関する原告の主張はにわかに採用することができす、労災法第二〇条にいう「補償を受けた者」とは、その文言どおり、現実に国からの保険給付によつて補償を受けた者を指し、従つて国は、保険給付によつて、この者以外の者が第三者に対して有する損害賠償請求権を代位行使することは許されないと解すべきである。
六 よつて、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 高林克巳 清水次郎 小林充)